北日本新聞「とやま事業承継ストーリー」に紹介されました

2025年4月5日付、北日本新聞朝刊「とやま事業承継ストーリー」のシリーズ23話で、弊社が紹介されました。

 

※以下、記事全文

◎苦難越え母から娘へ チーム一丸、会社支え◎
主に県西部の製造業の事業所に、工作機械や工具といった生産設備を幅広く販売している。
2023年6月、野上典子さん(46)が社長に就き、母である瓔公(えいこ)さん(74)から経営を引き継いだ。
「顧客の現場に密着し、困り事を解決できるソリューションも提供したい」と言う。
■創業者の急逝
創業は1976年1月。典子さんの父、雄峰さんが26歳で機械メーカーから独立し、当時は富山市にあった自宅横の小さな工場で、重量物をつり上げる工具「チェーンブロック」の製造を始めた。油圧ホースの加工や、国内工作機械メーカーの代理店として
放電加工機の販売に着手するなど、先を見据えた経営で成長の土台を築きつつあった。
創業から8年がたった84年。富山のものづくりを支えようと始まった小さな企業の物語は、一瞬で暗転する。
雄峰さんが旅先で体調を崩し、急逝した。温泉地に出かけるその日まで元気だったという。34歳。約1年半前に法人化をしたところだった。
妻の瓔公さんは、従業員たちから「何とか半年、社長を務めてほしい」と頼まれた。その間に経営の安定を図るという話だった。
雑用を手伝っていたくらいで、経営のことも社の内情も、何も分からなかった。それでも「会社を守りたい」という思いで引き受けた。しかし、そこからは3期連続の経常赤字。従業員は次々に辞めていった。
「お金も信用も頼れる人もいない。それでも『やるしかない』と、営業に駆けずり回った」と振り返る。
結婚するまで勤めていた北陸銀行のネットワークで顧客を紹介してもらい、少しずつ営業の成果が出るようになった。
90年にはチェーンブロックの製造を終え、商社一本に絞った。
このころ、後に社の屋台骨となる社員2人が相次いで入社。営業の体制が整い、顧客のケアができるようになってくると、売り上げも伸びた。
瓔公さんの社長就任時、3億円程度だった年間売上高は、現在の社屋を建設した2015年には10億円を超えていた。
■親族内を決断■
典子さんは大学卒業後、化粧品メーカーに就職し、営業企画を担当した。その後、射水市でアロマ、マッサージのスクールと店舗を開業。
12年ごろから、フルタイムで社の経理や総務で働くようになった。手伝いたいという思いはあったが、跡を継ごうという気持ちはなかった。
瓔公さんは社屋が完成したころから、承継を考えるようになった。営業として会社を支えてきた2人のどちらかに引き継ぐことも検討し、悩んだが、会社の所有権の問題などから最終的に親族内承継を決断した。
典子さんは悩んだ末に引き受けた。あの社員2人はともに常務に昇格。
「1人で抱え込むのではなく、チームとしてトップマネジメントをしていきたい。社のみんなで力を合わせたい」
26年が創業から50年の節目となる。瓔公さんが社長となった時、離れることのなかった仕入れ先のメーカー、支援を続けてくれた金融機関、そして見捨てることのなかった顧客がいた。
「力を貸してもらえなければ会社を存続させられなかった。感謝、感謝しかない」(高橋良輔)
◆会社メモ◆
▽本社     高岡市石瀬
▽社長     野上典子
▽設立     1982年(76年創業)
▽従業員数   22人
▽資本金    1000万円
▽事業内容   工作機械・省力機械・機械器具の販売、油圧ホースの加工・販売
▽グループ会社 藤原金属(高岡市石瀬)